カテゴリー:岡城ヒストリー -歴史探訪-
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騎牟礼城(鎮西城)その2 -源為朝- ~岡城ヒストリー~
鎮西八郎源為朝 清和源氏の流れをくむ、源為義の子として生まれる。母は遊女で、いわゆる庶子であったという。 勇猛で傍若無人、およそ手のつけられない荒くれ者で親兄弟に対してもその姿勢は変わらず齢十三歳の時 ついに為義から勘当…詳細を見る -
騎牟礼城(鎮西城)その1 ~岡城ヒストリー~
騎牟礼城・鎮西城 騎牟礼城は岡城の西方に位置し、岡城より昔から九州の中心の要害として活躍し、岡城築城後も常に重要な支城として数々の戦を戦ってきたお城です。 大分県竹田市会々、国道57号線から国道442号線に入り久住方…詳細を見る -
岡城桜まつり岡城武者揃え、志賀親次の甲冑
志賀親次 時は天正14(1586)年、秋 鬼島津と謳われた島津義弘率いる3万7千の軍勢が岡城一帯を包囲した 迎え撃つは”志賀親次”齢20の若き猛将である。 手勢一千にして島津軍を寄せ付けず。撃退し続けた姿を島津義弘は「楠…詳細を見る -
~岡城ヒストリー~”恐ろしき者の末”緒方三郎惟栄 その1 -文治元年 (西暦1185)頃-
”恐ろしき者の末”緒方三郎惟栄、天神山に岡城を築く(伝承)その1 文治元年(西暦1185)頃、九州最強の武士団と謳われた豊後武士団を率いる武将が居た、名を緒方三郎惟栄と言う。 「嫗嶽大明神伝説*1」に語られる豊後大…詳細を見る -
岡城ヒストリー 岡城築城(伝承)その1-文治元年 (西暦1185)の出来事-
文治元年 (西暦1185)の岡城を取り巻く出来事 ・平氏軍が屋島の戦いに敗れ、海路西へ逃れる。 ・元暦2年・文治元年3月24日 - 壇ノ浦の戦いに平氏一門が滅亡、安徳天皇が入水。 ・源義経「腰越状」 ・源頼朝の命…詳細を見る -
難攻不落、落城の覚えなし、故に無敵。 その名は”岡城”
文治元年(1185年)、九州の豪族”緒方三郎惟栄”が源頼朝に追われし源義経を迎えるため築城したことが始まりであるという。以来800数余年、数々の激戦の戦火全てを退け、落城の覚えなく現在に至る。 ※明治維新後の明治4年の廃…詳細を見る