”恐ろしき者の末”緒方三郎惟栄 その5 -「壇ノ浦の戦い」-

豊後之国の郷土の英雄、緒方三郎惟栄と源義経のお話から

源平の戦い終焉、文治元年(1185)

文治元年(元暦2年)葦屋浦(あしやうら)の戦い、屋島の戦いで、九州と四国の平氏軍に勝利し、彦島*1へと追い詰めた源氏、平清盛が率いて勝利した保元の乱・平治の乱*2以降、隆盛を極めた平家の滅亡は目前であった。

*1山口県下関市の南端にある島
*2保元の乱(1156年)・平治の乱(1160年)

彦島に集結した平氏

寿永2年(治承7年1183年)7月に源義仲に敗れ*1安徳天皇と三種の神器と共に都を落ち、四国屋島に拠って勢力を盛り返しつつあった平宗盛*2率いる平氏であったが
元暦2年・寿永4年2月19日(1185年3月22日)、源義経の陸路からの思わぬ奇襲により拠点としていた屋島を追われ、海路九州の彦島を拠点とする平知盛の元へ向かった。
遡ること2月1日、九州下関周辺では、平知盛*3(たいら の とももり)達の軍勢が源範頼(みなもとののりより)*4の九州侵攻を阻み優勢であったが、豊後の国の緒方三郎惟栄より豊後水軍の「兵船82艘」が源範頼へ献上され、兵糧不足も解消した範頼達の軍勢が、すでに緒方三郎惟栄等の手によって、拠点が確保されていた九州の東側の陸路と海上から攻めて来た為、九州の平氏の軍勢は敗走し彦島に拠る所となった。
そして、屋島から落ち延びて来た平宗盛と、平知盛率いる平氏の軍は合流し、決戦の時を向かえる。

*1平氏の都落ち
*2平宗盛、平清盛の三男
*3平知盛、平清盛の四男
*4源範頼、源頼朝の異母弟、源義経の異母兄


壇ノ浦の戦い開戦

山口県下関市・赤間神宮所蔵。重要文化財。安徳天皇縁起絵

山口県下関市・赤間神宮所蔵
重要文化財。安徳天皇縁起絵

彦島に集結した平氏軍は平宗盛・平知盛兄弟を中心に500艘*1(吾妻鏡より)の船団で源氏の軍を迎える、大将は平宗盛の弟、平氏随一の将と名高い平知盛が努めた。
平知盛は通常平氏の旗艦・本営となる大型の唐船に兵を潜ませ、源氏の鎌倉方の軍勢を引き寄せた上で包囲殲滅する作戦を立てた。
対する源氏・鎌倉方は陸を源範頼を大将として制圧をかけ、源義経は海路の大将を務め、伊予国河野水軍、紀伊国熊野水軍、摂津国渡辺水軍、などを引き入た、840艘(吾妻鏡による)の軍勢を率い自ら
先陣*2を切って迫った。

3月24日、攻め寄せてくる義経軍の水軍に対し、知盛率いる平氏軍「彦島」を出撃、午の刻*3(12時ごろ)に関門海峡壇ノ浦にて両軍衝突し合戦始まる。

*1平家物語による構成、松浦党100余艘、山鹿秀遠300余艘、平氏一門100余艘、一節に「源氏3000艘」「平氏1000艘」とも言われているが、正しいとされる正確な資料は無い。
*2平家物語第十一巻、合戦前の軍議で軍監の梶原景時が先陣を望むが、義経が自ら先陣に経つとはねつけ、景時が「天性、この殿は、侍の主にはなり難し」と呟いたのを聞き激怒した義経と景時があわや斬り合いかと緊迫するシーンが有名。屋島の戦いの逆艪に続き、後の景時の頼朝への讒言による、義経の破滅への伏線となるエピソードとなっている。
3*『玉葉』では午の刻12:00ころ、『吾妻鏡』では午前

源範頼と和田義盛

3万余騎*1をもって陸地に布陣した源範頼は、陸から平氏の退路を塞ぎつつ、遠矢を岸から射かけて義経・鎌倉方の海戦を支援した。
この時、豪傑和田義盛*2は、渚に馬で乗り込み、沖に向けて遠矢の射撃を二町も三町*3も射かけたという。

*1源平盛衰記
*2木曽義仲が滅亡した後、義仲の愛妾であった女武者巴御前を娶ったと言うエピソードがある。息子の朝比奈義秀も豪傑。
*3 1町約100m(平安時代)

平氏の優勢

関門環境の激しく複雑な流れの変化に、水軍の運用に手練た平氏の軍勢は、巧みに船を操り潮の勢いに乗りながら攻める。多くの兵が海戦に慣れない源氏の軍勢は、平氏に押され満珠島・干珠島*1付近まで追い込まれ苦戦する。
勢い盛んな平氏軍は源氏の大将源義経を討ち取らんと攻め続ける。しかしこの苦境の折、平氏方に与する阿波重能の軍勢が源氏方に通じ、平知盛の計略を源義経に伝え阿波重能の水軍が源氏に寝返る、こにより平氏水軍の作戦は崩れ数に勝る源氏の軍勢に勝機が生まれた。*3
反攻に転じた源氏軍は平氏軍に猛攻撃を仕掛け平氏軍は壊滅状態となり、勝敗が決して敗北を悟った平氏の一門は海上へと次々に身を投じた。

-つづく-

*1満珠島・干珠島、山口県下関市長府沖、瀬戸内海(周防灘)にある2つの無人島。住吉大神の化身の龍神が神功皇后に授けた潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)から生じたという伝説のある島。
*2阿波重能(田口成良)、「平家物語」では裏切り寝返り戦局を変えた要因の一つとして登場、「吾妻鏡」では戦後の捕虜の一人
*3大正3年に黒板勝美東京帝国大学教授の著書『義経伝』で提唱され広まった潮流変化説は採用せず平家物語の記述を採用しています。


緒方三郎惟栄館跡のアザレア
岡城ヒストリー「”恐ろしき者の末”緒方三郎惟栄 」シリーズ一覧


~岡城ヒストリーについて~

この記事は大分県竹田市にある国指定史跡「岡城」にまつわる歴史研究書籍・伝承・逸話を元に、各種の書籍と文献を参考資料として編集しています。
記述内容の誤りや、資料の信憑性、歴史考証の新たな発見と共に内容が修正されることがあります。
また「おそろしき者シリーズ」の源平合戦の描写は「平家物語」や「吾妻鏡」等の参考文献の中で、故人を偲び褒め称える表現も多く、時系列や実際の記録とは違う人物描写の部分がありますが、英雄譚としての逸話の部分も大切な郷土の記憶となるようにと、採用している部分がございます。その部分につきましては、可能な限り注釈にて、事実と創作を判断して頂けますように注意しております。
800年の時を超えて今に伝わったこの大切な史跡がこれから先も末永くその歴史と文化を伝えていく事を願って編纂編集に努めて参ります。


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