動画: 古戦場 大野川の滑瀬 岡城跡 天空の城 九州竹田城 ドローン空撮 20170328 Drone video in

九州の天空の城と言われる岡城跡(別名:九州竹田城)の、眼下に流れる大野川の滑瀬(ぬめりぜ)のドローン空撮動画です。

「滑瀬」では、天正14年(西暦1586年)に、大友氏(大友宗麟・義統)と島津氏(島津義久)の、島津義弘の軍が、岡城の城下を舞台に戦いを繰り広げました(豊薩合戦)。

大友宗麟の家臣の志賀親次は、数にまさり、戦国時代最強の武将とも言われる「島津義弘」の軍を相手に戦い、岡城を守り抜いたと言われています。

岡城桜まつりが近づいてきた、九州の桜の名所、岡城の古戦場「大野川の滑瀬 岡城跡 ドローン空撮 」
ぜひ、ごらんください。


岡城跡 廣瀬神社付近 ホテルつちや


戦国時代 豊薩摩合戦当時の状況 天正14年(西暦1586年)~天正15年(1587年)

当時、九州の覇権を争っていた大友宗麟と島津義久は、織田信長の仲裁により和睦していましたが、本能寺の変の後、信長が死去すると、大友氏の隙を突いて、島津氏が和睦を破棄し、大友氏の領土へ攻め込みました。

大友氏は島津と内応し離反する家臣が続出し、最大の危機を迎えました。
この時、大友宗麟は、織田信長の後を継いだ関白豊臣秀吉に、救援を要請。しかし、先遣隊で駆け付けた、仙石秀久(千石権兵衛)の失策で、四国の勇、長宗我部元親元親の嫡男、長宗我部元親信親が戸次川の戦いで戦死するなど、勇猛で知られる島津軍を相手に、豊臣秀吉の軍も苦しい戦いを迫られました。そして勢いに乗る島津軍は、大友氏の拠点「府内城」をも攻め落とします。

そのような中、数に勝る島津義弘が率いる島津軍に対し、孤軍奮闘したのが若き岡城城主志賀親次でした。志賀親次の率いる岡城の守備軍は、この滑瀬で島津軍を防ぎ続け、岡城の支城「鬼ケ城」で撃退しました。

悪化する戦況の中、徳川家康を上洛させて臣従させた豊臣秀吉は、天正15年(1587年)から大軍を九州に差し向け、島津を一挙に押し戻し、敗走させ、志賀親次や佐伯惟定らがこれを追撃、島津軍も大きな被害を残し、豊薩合戦は豊臣秀吉の元で決着となりました。

*戸次川の戦い:島津家久率いる島津勢と、豊臣秀吉の派遣した、長宗我部元親・長宗我部信親父子、仙石秀久、大友義統、十河存保の軍勢の間で行なわれた戦い。大分県大分市上戸次4799-3に長宗我部信親を弔うお墓がある。

センゴク権兵衛第6巻 豊臣・大友VS島津の戸次川の戦いが描かれるコミックス

作:宮下英樹 “天下人”を支えた猪武者・仙石権兵衛秀久を主人公とした戦国時代劇漫画

秀吉による天下一統は着実に実現へと近づいていた。だが、未だ戦乱が続く九州にて、“戦国最強”と謳われる「島津」がついに動き始める!! 武勇と知略に優れる四兄弟の下、九州を統べる勢いで領土を広げてきた、その神憑りともいうべき強さの源泉とは……!? 仙石にとって運命の合戦が待つ“九州征伐編”ここに開帳!!


古戦場 大野川の滑瀬 地図


岡城跡 廣瀬神社付近 ホテルつちや


戸次川古戦場近く 長宗我部信親の墓


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