鮮やか高画質4K映像 秋から冬へ移り変わる 岡城本丸・家老屋敷空撮映像 Vol.1

紅葉が終わり落ち葉の絨毯が広がる 天空の城 岡城 ドローン空撮 (4K) Vol.1

鮮やかな紅葉に包まれた日本100名城「岡城」の、本丸 二の丸 のドローン空撮(4K)の映像です。
ぜひご覧ください。

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紅葉が終わり落ち葉の絨毯が広がる 本丸 家老屋敷 天空の城 岡城 ドローン空撮 (4K)

紅葉が終わり落ち葉の絨毯が広がる 本丸 家老屋敷 天空の城 岡城 ドローン空撮 (4K) Vol.1

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ドローン空撮・動画製作
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岡城 岡藩 岡城中川但見屋敷 中川覚左衛門屋敷 家老屋敷 天空の城 ローン空撮 (4K)
西の丸の家老屋敷(中川覚左衛門屋敷跡)から見た岡城の本丸~家老屋敷(岡城中川但見屋敷跡)です。

岡城の本丸・家老屋敷の説明と見処

本丸家老屋敷①(中川但見)家老屋敷②(中川覚左衛門)

本丸

岡城の本丸には、金蔵跡・天満神社・三重の櫓跡があります。様々な形に加工された石で組み上げられた見事な石垣は、岡城のみどころの1つとなっています。
また、かつて三重構造の櫓(天守閣)があり、図画等にその姿が描かれています。


【本丸の遺構・見処】

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金蔵跡

金蔵跡

岡藩の国費が収蔵されていた蔵、かつての岡藩は中九州の交通の要衝に位置し、大野川を使用した水上運輸や、飛び地の藩町があった大分市の三佐からの海運も手がけていた。
岡藩の城下町に立ち寄ると、旅に必要な物がなんでも不足なく揃うと重宝され活気に満ちていたと言われる。

天満神社

天満神社

岡城の本丸は、中世の志賀氏が統治した時代には天神山があった。中川氏が封入され治めるようになった戦国時代末より、城を拡張し天神山に本丸を築きました。そして天神社を岡城の守り神として建設し、文禄四年(1595)に、菅原道真の影像と、名刀天国作の太刀をご神体として迎えて祀ったそうです。
廃藩置県後には、御神体を旧城下町に移し、住民に馴染みの深い景行天皇・神功皇后・他三柱の神を合祀しました。その後、宮司が夢枕でお告げを受けて、現在の場所に還座しました。
天満神社には学問の神様菅原道真が祀られていることと、岡城が豊薩合戦で島津3万(諸説あり)の軍勢を物ともせずに「落ちなかった城」として栄えたことにあやかって、受験生が参拝に訪れます。

三重の櫓

三重の櫓

岡城の天守閣[*1] は三重の櫓で出来ていた、現存する資料では図画にその姿を見ることが出来るが、当時の姿を垣間見れる物は残っていない。
天空の城とも称される、天神山の頂上に位置する本丸の上にそびえる三重の櫓は、さぞ見ごたえのある風景だったと思われる。
かつて一時的な復元を行った事がある、その時は壁や瓦は石垣や遺構を傷めないように、発泡スチロールで作られたが、しゃちほこは実際の瓦で焼かれ復元された。
注釈1:公称は「三重の櫓」、「天守閣」とは呼ばない。理由は不明。

岡城二重の石垣・本丸の石垣(動画)

岡城二重の石垣・本丸の石垣(動画)

剛性を高めるための組み方や、魔除けの意匠の積み方等、様々なタイプの石垣の積み方で流麗な模様や威厳のあるシルエットが楽しめます。
中世日本の石垣の建築様式と技術の高さなどが見処。中に一つだけ、津山藩の印の石が1つ組み込まれているので探してみましょう。
動画は3本連続再生されます。


家老屋敷(中川但見屋敷跡)

西の丸の周辺にある家老屋敷の一つ中川但見屋敷跡です。
中川秀成公入城の際の仮の住まいがあった場所でもあります。
家老屋敷 岡城中川但見屋敷跡 遺構 見処 中川清秀 戸伏氏
正式な住居が完成した後、初代秀成公の姉糸姫とその母稍々(やや)が棲む住居となります。
初代秀成公の姉糸姫は池田輝政の正室でしたが、輝政が秀吉の仲介によって、徳川家康の娘・督姫を継室として娶ったのち、糸姫の産んだ嫡子の池田利隆が藩を継の見届けると、弟の秀成の治める岡藩へ移り住み母親と一緒に暮らしました。
後に、藩祖中川清秀の代から老職を勤めた戸伏氏が、中川姓を賜り、家老中川但見守の居所となりました。隣には藩主が不在の時に変わって藩政を行う城代家老の屋敷跡があります。

家老屋敷②(中川覚左衛門屋敷跡)

岡藩家老、中川覚左衛門の屋敷跡

家老「覚左衛門」とは世襲の家老が代々受け継いだ名前です。
中川覚左衛門の一族の祖は茶人の古田織部(古田重然)
古田織部の娘を初代中川秀成が養女とし、古田織部の弟の重続が婿になり、子孫が中川家の「外孫」として中川覚左衛門となった。
また古田織部の姉が藩祖「中川瀬兵衛清秀」の室であるため、古田氏と中川氏の結びつきはとても深い。
中川覚左衛門屋敷跡は間仕切りが復元され、板張りの館跡には、茶室も再現されている。
池のある小さな庭等もあり、当時の文化的な暮らしの名残を垣間見ることが出来ます。

古田 重然(ふるた しげなり、ふるた しげてる)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。一般的には茶人・古田 織部(ふるた おりべ)として知られる。「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来している。千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。
引用:古田 重然「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 2016年12月13日 (火) 04:27 UTC」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E9%87%8D%E7%84%B6


本丸 | 家老屋敷① | 家老屋敷②


家老屋敷~西の丸御殿~本丸までの空撮映像 (4K)


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