騎牟礼城 日本史最強の伝説的武将 源為朝が砦とした山城 ドローン撮影(4K) 写真 Vol.9 20170225

2mを越す巨体を持ち5人張の剛弓の使い手、剛勇無双、日本史最強と謳(うた)われた、源為朝(みなもとのためとも)が砦とした山城「騎牟礼城(騎群城・きむれじょう)」の写真です。
写真中央にそびえる山の上にある騎牟礼城、奥には、阿蘇くじゅう国立公園のくじゅう連山の山々(久住山、大船山、黒岳など)の風景。
騎牟礼城の左側には、大分県の特産品「カボス」を育てる「カボス団地」を見ることができます。

島流しされた伊豆大島と伊豆七島を支配 日本で初の切腹をした武将 源為朝

保元の乱で、崇徳上皇(すとくじょうこう)方につき敗れた為朝は、徹底抗戦を主張したものの、湯治をしていたところを捉えられます。
為朝は、その後、武勇を惜しまれて助命され、命の代わりに剛弓を引く肘を外され伊豆大島に配流(島流し)。しかし、肘が治るとすぐに暴れだし、伊豆七島を支配してしまいました。

為朝の狼藉の訴えを聞いた朝廷は、為朝討伐を決定、500余騎と20艘の船で攻め寄せます。
その軍勢の様子に、抵抗を諦めた為朝は、最後に一矢つがえて、300人程が乗った軍船に放ちました。為朝の矢は見事に命中、船は穴が空いて転覆。

為朝は、館に戻り「昔は矢一つにて鎧武者二人を射通しけり。今は舟を射て多く人をぞ殺しけり(保元物語)」とつぶやき、自身の戦と弓に満足すると、南無阿弥陀仏と念仏を唱え、腹を切って自害しました。

源為朝、享年32。

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騎牟礼城 日本史最強の伝説的武将 源為朝が砦とした山城 ドローン撮影(4K) 写真 Vol.9

騎牟礼城 日本史最強の伝説的武将 源為朝が砦とした山城 ドローン撮影(4K) 写真 Vol.9


源為朝が登場 または 題材とされた書物・作品

保元物語(作者不明)
椿説弓張月(曲亭馬琴作・葛飾北斎画)
強弓伝 源為朝(朴念仁)
為朝二十八騎(佐野絵里子)
ST 為朝伝説殺人ファイル 警視庁科学特捜班(今野敏)
ほか。


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