NHK大河ドラマ 真田丸と岡城にまつわる人々の繋がり 豊臣・日出シンポジウム「正史と稗史の狭間~」

NHK大河ドラマ真田丸と、岡城にまつわる人々の繋がりを紐解いてゆく特集。特別編。
豊臣恩顧の武将、真田丸で鈴木京香さんが演じる「北政所(寧々)」の兄妹、木下家定の三男「木下延俊(きのした のぶとし)」が初代藩主となった豊後国日出藩(大分県速見郡日出町)で、豊臣秀頼の遺児、豊臣国松君と日出藩の歴史を、新たな視点で紐解くシンポジウムが開催されます。

豊臣・日出シンポジウム

豊臣・日出シンポジウム「正史と稗史の狭間-豊臣国松は生きていた」
日出町ホームページより
シンポジウム
永きにわたり受け継がれてきた豊臣一族の諸説を、公に編集された「正史」と一類の伝承によって守り伝えられてきた「稗史」の両視点から見えてくる歴史について、本シンポジウムを開催いたします。
 入場は無料、多くのご来場を心よりお待ちいたしております。

開催・日時・料金

2016年10月10日(月・祝) 13:30~16:30
料金:無料

お問い合わせ

日出町教育委員会文化振興室
TEL:0977-72-6100
詳細はこちら
日出町ホームページ
http://www.town.hiji.oita.jp/page/page_01703.html
日出町観光協会ホームページ「ひじナビ」
http://hijinavi.com/news/symposium-20161010/
会場:日出町中央公民館1階ホール

地図


真田丸と日出藩と岡藩

ここでは真田丸の登場人物「北政所(寧々)」と日出藩・岡藩の繋がりを紐解きます。

北政所と日出藩

豊臣・日出シンポジウムの開催場所となる日出藩(ひじはん・日出町)は、豊後国速見郡に存在した藩。主要な拠点は大分県速見郡日出。藩主は代々「木下氏」藩祖は豊臣秀吉の正室・北政所(寧々・真田丸キャスト・鈴木京香)の兄・木下家定の三男「木下延俊(きのした のぶとし)」
明治4年(1871年)廃藩置県まで存続、日出県から後に大分県となった、岡藩と同じく長い歴史のある藩です。

北政所と岡藩

そして、真田丸で豊臣恩顧の大名、強面の大名や奉行に育った加藤清正や石田三成達に、時に優しく時に厳しく育ての母として接し、豊臣家の滅亡までを見つめ続けた北政所(寧々)と岡藩は、戦国時代も遠い記憶となった、寛保二年(西暦1742年)、岡藩第7代藩主中川久慶(なかがわ ひさよし)の登場によって繋がる事になります。
岡藩第7代藩主中川久慶は、安芸広島藩第4代藩主浅野綱長の四男です。
北政所(寧々)は、安芸藩浅野氏の開祖「浅野長政」が、婿養子として家督を継いだ、叔父・浅野長勝の元で養女となり、豊臣秀吉に嫁ぎました。
岡藩第七代藩主を生み出した浅野家と、日出藩の木下家、そして北政所(寧々)は、浅野長勝の養子養女の兄妹として繋がります。

人物の関係

木下家定:浅野長勝養子
浅野長政:浅野長勝婿養子
北政所(寧々):浅野長勝養女、豊臣秀吉室

木下家定→木下延俊(日出藩初代藩主)
浅野長政→浅野長晟(安芸藩初代藩主)→浅野光晟(2代)→浅野綱晟(3代)→浅野綱長(4代)→中川久慶(岡藩7代目藩主)

”豊”の国と言われる大分県に、豊家と深い関わりがある人物が所領を拝して、日出藩と岡藩は幕末まで存続。歴史のロマンを感じますね。


真田丸キャスト ピックアプ。

鈴木京香さん
鈴木 京香(すずき きょうか)さんは宮城県泉市(現・仙台市泉区)1968年5月31日生まれ、有限会社Vanda(ヴァンダ)所属の女優さんです。
古都・京都のように古風で優雅な女性に育って欲しいとの両親の願いから「京香」と名づけられたそうです。
大学在学中からモデル事務所、仙台SOSモデルエージェンシーに所属し、モデルとして活動し、1988年に『カネボウ 水着キャンペーンガール』に選出され、本格的に芸能界入りされました。
翌年の1989年に、映画 『愛と平成の色男』で女優としてデビューされ、1991年にNHK朝の連続テレビ小説 『君の名は』でヒロイン真知子役を演じて広く知られ、現在も演技力に定評のある女優さんとして人気。
鈴木京香さんの大河ドラマ出演は、真田丸で5作目となります。真田丸では荒れ狂う戦国の世の中で、つねに母としての佇まいで接する北政所の姿が印象的です。

NHK大河ドラマ出演歴

翔ぶが如く(1990年1月7日~12月9日)「和宮」役
炎立つ(1993年7月4日~1994年3月13日)「菜香」役
葵 徳川三代(2000年1月9日~12月27日)「細川ガラシャ」役
新選組!(2004年1月11日~12月12日)「お梅」役
真田丸(2016年4月17日~)「北政所」役


必見!北政所と共に浅野氏に繋がる、岡藩第7代藩主中川久慶が治めた、リトル京都の竹田城下町の風景と岡城。
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豊臣秀頼・遺児生存説

豊臣家の血筋を伝える人物たちの生存説。

鹿児島県・薩摩藩

南日本新聞・さつま人国誌

豊臣秀頼の薩摩落ち伝説

http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=281

真田幸村の薩摩落ち伝説

http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=282

大根占にもある真田幸村の墓

http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=7751


大分県・豊後国岡藩

景行天皇がここに来たとき「広大なる哉 この郡は よろしく碩田国(おおきた)と名づくべし」と言われ、後に大分県となった、豊後国の生存説。

中川久清公、豊臣秀頼遺児の説

豊後国、現在の大分県に、設立以来幕末まで改易すること無く続いた岡藩あり。その岡藩の中興の祖とされる、入山公こと「中川久清公」。
その久清公が、豊臣秀頼が側室に産ませた子供だという説と、またその中で、10月2日放送の真田丸で、真田幸村に囲碁の指南を行っていた、嫡男真田幸昌が、大阪城落城の際に落ち延びた後、久清公の幼少の頃の養育係、村井五兵衛の世話になったと言う説があります。

出典

お宝・古文書ペディア(代表・甲山堅・ザビエルコード著者)
https://www.facebook.com/%E3%81%8A%E5%AE%9D%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-481748032008492/


大分県・豊後国日出藩

北政所の兄妹、木下家定の子、木下延俊が初代藩主として治めた日出藩の説

日出藩・豊臣国松は生きていた

豊臣◆日出シンポジウム「正史と稗史の狭間-豊臣国松は生きていた-」
http://www.town.hiji.oita.jp/page/page_01703.html

その他

長崎県の島原の乱で有名な、天草四郎時貞が、秀頼の遺児であるという話。
高野山の僧として秀頼は生きたとされる話。
真田幸村(信繁)が豊臣秀吉室・北政所(ねね)の兄で、足守藩藩主の木下氏の元で庇護を受けた等のお話があるそうです。
この他にも、資料や文献に基づく推察や、源義経の生存説と同じく、判官びいきとして、時代の波うねりの中で亡くなった、悲劇のプリンスや英雄に、生き延びていてほしいと言う、庶民の願いが作り出したお話が、全国各地にあるそうです。


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