山城特集 「鬼ヶ城」 動画と豊薩合戦Episode

名称:鬼ヶ城(岡城西側の支城)
場所:大分県竹田市竹田鬼ケ城

鬼ヶ城動画

豊薩合戦の滑瀬からの岡城周辺のドローン空撮映像
https://www.youtube.com/watch?v=7UuapaLkwcI
日本百景「魚住の滝」-豊薩合戦で島津軍を阻んだ滑瀬(白滝川)上流の滝)-
https://okajou.com/archives/1377/


豊薩合戦の決戦地「鬼ヶ城」*1

天正14年10月22日より、肥後方面から侵入してきた島津義弘率いる島津軍15,000を相手に、三度の襲撃を退けた岡城主「志賀親次」の命により放たれた
「矢文」によって、決戦の地となった岡城の支城。
1877年の西南戦争中にも西郷隆盛率いる島津勢と激戦を繰り広げ、これを敗走させた茶屋の辻の戦い(ちゃやのつじのたたかい)の舞台の一つでもある。

志賀親次の矢文(現代語訳)*2

折角当城(岡城)の正面へお寄せ頂きましたが、御覧の通り川深く橋も撤去してしまったので、お望み通りに決戦をするのは出来難く遺憾と存じます。
よって、明日29日、この川の上流に、気軽に渡ることが出来る「徒渉場」がありますので、お出で頂けませんか?
来て頂けましたら、当城より徒渉場を案内する者を遣わせます。
当方も、鬼ヶ城に出兵し、雌雄を決したく申し上げます。

決着*3

かくして岡城軍1000と島津軍1000による決戦が行われた。
渡河を果たし魚鱗の陣で鬼ヶ城に攻め進む島津軍、岡城軍は2つに兵を分け、奇襲と三手に配置した鉄砲隊による攻撃を敢行した。
終始島津軍に対し優勢に戦い、追撃含め岡城軍死者20、島津軍400未満の戦果でこの決戦に勝利したと言う。


注釈
*1 豊薩合戦は大友~志賀文書、島津国史~フロイスの書簡、由学館の書物等などで記載の有無や異なる部分が多々ある戦いです。この記事は主に「直入郡国志全」や「直入郡全史-北村清士編集-」、「大友興廃記」等の記述から、志賀親次の英雄譚としての記述を元に記述させて頂いています。
*2 家臣「右田中務丞」が志賀親次の指示でしたため、矢文にして放った。
*3 資料によって大幅に双方の兵数が違い、一定の記述が見られないので、「直入郡全史-北村清士編集-」と現地の取材の感想を元に、兵力に最も差の少ない記述を主に引用しました。


「志賀掃部助」

new aspects
この天正14年の豊薩の合戦前後の資料を調べると、後に英雄譚に綴られる志賀親次の影に、輝かしい手柄の数々を上げてきた歴戦の将、兄の志賀掃部助の姿が見えてきます。
志賀掃部助は南志賀家の養子に入り、後に変遷を経て大友宗麟の後妻ジュリアに従い長崎の渕村に移り、親次の子を養子として今に続く「渕村志賀家」を残したそうです。参考書籍「志賀文書解釈書-志賀昭夫編集-」


鬼ヶ城資料

記事制作に参考とした情報とリンク

鬼ヶ城参考書籍

直入郡志全-直入郡教育会-
直入郡全史-北村清士編集-
大友興廃記-出版大分県立大分図書館-
南山城由来記(常楽寺蔵書コピー本)-足立計司編集-
豊後之国直入郡白仁村南山城落城之覚書写-足立計司著-
前岡城物語-大塚主著-
志賀文書解釈書-志賀昭夫編集-

鬼ヶ城関連リンク

鬼ヶ城の地図(google)
山城「鬼ヶ城」周辺、滑瀬、魚住の滝、鬼ヶ城の風景(写真)
岡城(竹田市)周辺の山城と支城リスト
岡城桜まつり岡城武者揃え、志賀親次の甲冑


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