高城 (たかじょう)

大分県竹田市九重野高源寺の南方にある山城。
天正14年10月、肥後口より侵入した「島津義弘」が、内応者「入田 義実(にゅうた よしざね)」の案内で攻略、岡城の志賀親次の臣(匠とも言われる)佐田常任(さだつねとう)と、阿南勘解由之丞(あなんかげゆのじょう)率いる高城の守備隊は、少数で孤軍奮戦し、よく守ったが、水を引き込む隠し水路を絶たれ、城主諸共壮烈な討ち死にを果たし陥落した。
水路の存在を教えてしまった老婆は、島津軍に殺害されたという。
離反裏切り相次ぐ豊後の地での豊薩合戦の中で、命を賭して島津の大軍に立ちはだかり、最後まで勇敢に戦った佐田常任の名は後の世に伝えられ、豊後国志の中にその墳墓の場所と名を刻まれる。


城主

佐田常任

関連武将

佐田常任(さだ つねとう)

天正14年10月、世に伝う大友氏と島津氏最後の合戦「豊薩合戦」の豊後国での初戦の場となった「高城」の守備を担った武将。
後に鬼島津と呼ばれた島津義弘率いる島津軍は、豊後の地での初戦を飾るべく、この支城を一気に攻め落せと怒涛のごとく攻め込んだ、しかし佐田常任と、阿南勘解由之丞の守る高城側は、事前に準備していた大量の大木や岩を投げ落とし、島津軍に多くの被害を出させ撃退する。
出鼻を挫(くじ)かれ、少数の守備隊相手に散々に蹴散らされた島津軍は、陣を仕切り直し戦略を一変させ、慎重な攻略に切り替えざるを得なかった。
籠城し思わぬ抵抗を見せる高城に対し、島津軍は付近に住む老婆から高城の情報を聞き出す。
「この城はさぞ水に苦労しているだろう」
と聞く島津の兵に老婆は答える。
「あの城はなんぼ(いくら)でも水が飲めるんで(だよ)」
どういうことかと尋ねる兵に自慢げに老婆は言った。
「お城の殿様はとても出来たお方でな、水に困らんように、城には祖母山から埋樋(うめとい)を引いて水を送るごとできちょんじゃ(送るように出来ているのです)」
老婆から水の手の情報を聞き出した島津軍は、早速祖母山の山谷を捜索し、埋樋の水路を見つけると、その場所を堀切って水の手を断ち切ってしまった。
高城は水を絶たれても、城主の佐田常任と阿南勘解由之丞らは頑強に抵抗を続け、戦闘の中、討ち死の最後を遂げた。そして遂に高城は陥落した。
後に、この時の佐田常任の功績により、子孫には大庄屋の職が贈られたという。
佐田常任の墓は高城の麓の高源寺にあり、二本の老松がその墓を見守っていたと伝わる(出:豊後国志・墳墓の項)
現在も、高城を守備した佐田常任と兵士たちの子孫により、英雄達の魂を慰める鎮魂の先祖祭りが行われている。
情報提供:佐田直人氏(佐田常任ご子孫)

佐田常任参考文献

国立国会図書館デジタル「豊後国志・墳墓の項・古跡の項」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1181222
大分合同新聞 渡辺克己著「豊後の武将と合戦」

所在地

〒878-0572 大分県竹田市九重野高源寺

地図

写真

高城(手前)・緩木城(奥)

高城(手前)・緩木城(奥)


備考

島津氏に従って薩摩に移った入田氏は、その後も途絶える事無く現在まで続き、宮崎・鹿児島に入田姓が見られる。


竹田市の岡城の周辺の山城、支城、狼煙台などの地図。

関連リンク:岡城周辺の山城と支城リスト(九州の大分県竹田市)


岡城.com志賀氏館に通じる山城ライン

岡城周辺志賀氏館(用作公園)から直入之郡(竹田市)の山城を結ぶラインを表示

竹田市の観光名所(豊後竹田駅から)

岡城:車で10分
長湯温泉:車で25分
久住高原:車で25分
竹田湧水群:車で15分
神原渓谷:車で25分
竹田市城下町:豊後竹田駅正面すぐ。

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