騎牟礼城(鎮西城)その1 ~岡城ヒストリー~

騎牟礼城・鎮西城

 騎牟礼城は岡城の西方に位置し、岡城より昔から九州の中心の要害として活躍し、岡城築城後も常に重要な支城として数々の戦を戦ってきたお城です。
 大分県竹田市会々、国道57号線から国道442号線に入り久住方面へ向かった左手に見えてくる小山の山頂に位置する。

騎牟礼城の歴史

-騎牟礼城址立札より-
 騎牟礼城の歴史は久安二年(1150)から久寿二年(1156)まで六年間鎮西八郎為朝の豊後での活躍時期に始まる。「豊後国史」の六巻には「仁平中源公子為朝干此云」とあり、源為朝が騎牟礼城としたと記されている。(平成二年より逆算840年前)*平成17年の866年前

 場内は五箇所の廓(くるわ)土塁、空濠か僅かに残り、中世の山城の形式が見られる、天正十四年(1586)の豊薩戦争、明治十年(1866)の西南の役などでは、戦略上重要な陣地となった。 また文久二年(1861)建立の楠公逢拝所の塔、明治七年(1874)佐賀の役に出陣した岡藩士石川政夫の忠魂碑がある。また騎牟礼城は別名騎牟礼群城、騎牟礼城、鎮西城ともいわれ近年は古城(ふるしろ)と呼ばれ地域住民の憩いの場として久しく親しまれてきた。
 平成二年 三月二十五日-騎牟礼城阯公園保存会-

騎牟礼城阯公園保存会

騎牟礼城阯公園保存会

騎牟礼城・鎮西城跡を遠方から

騎牟礼城・鎮西城跡を遠方から

MAP 騎牟礼城・鎮西城


~岡城ヒストリーについて~

この記事は大分県竹田市にある国指定史跡「岡城」にまつわる歴史研究書籍・伝承・逸話を元に、各種の書籍と文献を参考資料として編集しています。
記述内容の誤りや、資料の信憑性、歴史考証の新たな発見と共に内容が修正されることがあります。
800年の時を超えて今に伝わったこの大切な史跡がこれから先も末永くその歴史と文化を伝えていく事を願って編纂編集に努めて参ります。


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