岡城年表

年号 西暦 拠点 城主
藩主
事柄 国内
文治元年 1185 豊後国
大神氏領
平氏軍が屋島の戦いに敗れ、海路西へ逃れる。
4月25日(元暦2年3月24日) – 壇ノ浦の戦いに平氏一門が滅亡、安徳天皇が入水。
腰越状
源頼朝の命により土佐坊昌俊義経を襲撃するも失敗、後白河法皇より源義経頼朝追討の院宣を賜る。源頼朝大軍を発する。
緒方三郎惟栄、築城の伝説
源義経大物浦より船出し消息を絶つ。
島津忠久、島津荘の下司識に就く
鎌倉幕府が成立する


岡城ヒストリー「”恐ろしき者の末”緒方三郎惟栄 」シリーズ一覧

源義経の勝報、鎌倉の頼朝に届く。
無断任官の東国武士24人頼朝により処罰さる。
源義経追討の院宣出る。源義経大物浦より船出し消息を絶つ。
7月18日(元暦2年6月20日)
8月6日(元暦2年7月9日)、京都一帯に大地震(文治地震)。御所の建物も危険視され、園庭に幄を設けて御所とする。地割れ走り、水吹き出す
9月8日(寿永2年8月20日)第82代後鳥羽天皇が即位(1198年)
源広綱、駿河守に就く。
源頼朝、守護・地頭を設置。
九州に鎮西奉行が設置される。
鎌倉幕府が成立
延応二年 1240 騎牟礼城 豊後国
大友氏領
大友能直8男、志賀能郷、豊後国大野郡大野荘志賀村地頭職となる
文永十一年
~弘安四年
1274
~1281
蒙古襲来(文永の役~弘安の役) 大友頼泰、志賀泰朝出陣
大友氏初代、2代と豊後に移住していなかったが3代目の頼泰が
初めて豊後に来る、土着し勢力を蓄える。
建武年間 1334~37 岡城 志賀氏岡城築城説
建武三年 1336 延元の乱 大友氏泰が足利尊氏の再挙に貢献
3代志賀忠能・4代志賀能長(頼房)これに従う。
「御判御教書」により大友氏が「源氏」に加わる。(尊氏の猶子)
大友氏泰、豊後の他に肥前・豊前・日向の守護に任じられる。
応安二年 1369 志賀氏房、直入郷の代官職・検断職を与えられ、騎群(木牟礼)城に入るのち岡城に移り、以後次第に恩賞地が増大していく。
明徳二年 1393 南北朝の動乱収束
永享八年 1436 姫岳の合戦 大友持直を幕府軍が攻撃、志賀親賀は持直に味方のち
幕府方の大内親綱らから勧誘され幕府方に転じる。
応仁元年 1467 応仁の乱
天正四年 1535 島津義弘誕生
天文十二年 1550 二階崩れの変により大友義鎮(宗麟)が大友氏の家督を継ぐ。
永禄九年 1566 志賀親次誕生
天正六年 1578 大友宗麟がキリスト教に改宗
耳川の戦い 志賀親教(親度)、大友義統に続き出陣。他
天正十二年 1584 志賀親次 肥前の熊、龍造寺隆信「沖田畷の戦い」で戦死。
志賀親次、黒木家永の守る猫尾城攻めに参加、19歳の若さで家督を継ぐ
天正十三年 1585 志賀親次、キリシタンに改宗、ドン=パウロの洗礼名を得る。
天正十四年 1586 豊薩合戦 入田義実と志賀親度島津方に寝返り
志賀親次、反乱した南郡衆を滅ぼし父を自刃させる。
敵将島津義弘から「天正の楠木」と賞賛される。


豊薩合戦Episode

天正二十年 1592 文禄の役 大友軍参戦、誤報により撤退、豊臣秀吉の怒りに触れる。
大友氏は改易され親次も所領を失う。
文禄三年 1594 中川秀成 播州三木から入部、岡城の普請(改築)始まる。
慶長元年 1596 岡城普請終了。
慶長十七年 1612 中川久盛 菩提寺の碧雲寺建設する。
慶長十八年 1613 大手門が変わる
寛永十二年 1635 大勝院に愛染堂建立。
承応二年 1653 中川久清 七里に米倉建設。
寛文三年 1663 西の丸御殿普請開始。
寛文六年 1666 中川久恒 新屋敷御殿完成する。
元禄八年 1695 中川久通
元禄十五年 1702 三日月岩彫られる。
宝永七年 1710 中川久忠
寛保二年 1742 中川久慶 安芸広島藩主・浅野綱長の四男
寛保三年 1743 中川久貞 三河吉田藩主・松平信祝の次男
明和八年 1771 大火災により本丸、御廟、西の丸、下原まで延焼する。
安永五年 1776 学問所輔仁堂を改築、由学館設置。
安永六年 1777 田能村竹田誕生
天明四年 1784 儒学者唐橋君山藩医になる。
天明七年 1787 藩医学校博済館創設
寛政二年 1790 中川久持
寛政十年 1798 中川久貴 豊後国志の編纂 大和郡山藩主・柳沢保光の五男
享和三年 1803
文化元年 1804 岡城下町にて但馬屋幸助、御用の菓子舗「但馬屋」を創業~以来大分県下で一番古い和菓子補となり銘菓三笠野を伝え続けている。
文化三年 1806 寺町御客屋敷完成
文化八年 1811 四原一揆の勃発 【柏原・恵良原・葎原・菅生原】
文化十二年 1815 中川久教 近江彦根藩主井伊直中の七男、井伊直弼の兄(十四男)
天保十一年 1840 中川久昭 伊勢津藩主・藤堂高兌の次男
明治元年 1868 廣瀬武夫生まれる
明治二年 1869 中川久成 藩知事、中川久昭隠居により就任(岡藩知藩事)
明治四年 1871 岡県→大分県 7月14日廃藩置県により岡県となる。同11月14日大分県に編入
中川久成免官後に貴族院議員となる(中川伯爵家1884年-1897年)
明治二十四年 1891 滝廉太郎竹田に移住する。
昭和十年 1935 廣瀬神社建立。
昭和十一年 1936 岡城跡が国指定史跡となる。
昭和二十三年 1948 旧竹田荘国指定史跡となる。
昭和二十五年 1950 銅鐘国指定重要文化財となる。
昭和六十三年 1988 願成院本堂の愛染堂が国重要文化財となる。
平成九年 1997 岡藩主中川家墓所が国指定史跡になる。
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