紅葉が終わり落ち葉の絨毯が広がる 天空の城 岡城 ドローン空撮 (4K) Vol.1
鮮やかな紅葉に包まれた日本100名城「岡城」の、本丸 二の丸 のドローン空撮(4K)の映像です。
ぜひご覧ください。
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ドローン空撮・動画製作
㈱情報開発研究所
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西の丸の家老屋敷(中川覚左衛門屋敷跡)から見た岡城の本丸~家老屋敷(岡城中川但見屋敷跡)です。
岡城の本丸・家老屋敷の説明と見処
本丸
岡城の本丸には、金蔵跡・天満神社・三重の櫓跡があります。様々な形に加工された石で組み上げられた見事な石垣は、岡城のみどころの1つとなっています。
また、かつて三重構造の櫓(天守閣)があり、図画等にその姿が描かれています。
【本丸の遺構・見処】
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家老屋敷(中川但見屋敷跡)
西の丸の周辺にある家老屋敷の一つ中川但見屋敷跡です。
中川秀成公入城の際の仮の住まいがあった場所でもあります。
正式な住居が完成した後、初代秀成公の姉糸姫とその母稍々(やや)が棲む住居となります。
初代秀成公の姉糸姫は池田輝政の正室でしたが、輝政が秀吉の仲介によって、徳川家康の娘・督姫を継室として娶ったのち、糸姫の産んだ嫡子の池田利隆が藩を継の見届けると、弟の秀成の治める岡藩へ移り住み母親と一緒に暮らしました。
後に、藩祖中川清秀の代から老職を勤めた戸伏氏が、中川姓を賜り、家老中川但見守の居所となりました。隣には藩主が不在の時に変わって藩政を行う城代家老の屋敷跡があります。
家老屋敷②(中川覚左衛門屋敷跡)
岡藩家老、中川覚左衛門の屋敷跡
家老「覚左衛門」とは世襲の家老が代々受け継いだ名前です。
中川覚左衛門の一族の祖は茶人の古田織部(古田重然)
古田織部の娘を初代中川秀成が養女とし、古田織部の弟の重続が婿になり、子孫が中川家の「外孫」として中川覚左衛門となった。
また古田織部の姉が藩祖「中川瀬兵衛清秀」の室であるため、古田氏と中川氏の結びつきはとても深い。
中川覚左衛門屋敷跡は間仕切りが復元され、板張りの館跡には、茶室も再現されている。
池のある小さな庭等もあり、当時の文化的な暮らしの名残を垣間見ることが出来ます。
古田 重然(ふるた しげなり、ふるた しげてる)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。一般的には茶人・古田 織部(ふるた おりべ)として知られる。「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来している。千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。
引用:古田 重然「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 2016年12月13日 (火) 04:27 UTC」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E9%87%8D%E7%84%B6