大分合同新聞県内ニュースで入田地区の山城「津賀牟礼城」が紹介されました。
9月6日の大分合同新聞夕刊1ページに掲載されています。
大分合同新聞:「宗麟の海」を訪ねて⑨ 津賀牟礼城
竹田市街地の南側に広がる入田(にゅうた)地域は、祖母・傾、阿蘇山の豊かな自然が育んだ伏流水が湧き出す名水の里。水くみ場の背後に広がり、住民から「城山」と呼ばれる山に津賀牟礼(つがむれ)城があった。
-大分合同新聞Webサイトより-
詳しくはこちらの大分合同新聞Webサイトへ。
http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/09/06/131308898
入田地区の山城「津賀牟礼城」とは。
竹田市の入田郷矢原にあった山城です。
津賀牟礼城主の入田氏は大友氏の一族だが「二階崩れの変」の当事者の一人として、当時の津賀牟礼城主「入田親誠」が討たれると、「戸次統貞」に与えられ、戸次氏が治める城となった。
※入田親誠は母牟礼城に立てこもった後に、阿蘇惟豊を頼って肥後へ逃れたが、そこで、阿蘇惟豊に主家に叛く謀叛の人として討たれ、首(みしるし)は義鎮(宗麟)のもとに送られた。
豊薩戦争時に、二階崩れの変の折には、若かった為に許された入田親誠の子入田義実が、島津へ内通し先導して、一度は島津の手に落ちるが、志賀親次により奪回されたとされる。
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