文治元年 (西暦1185)の岡城を取り巻く出来事
・平氏軍が屋島の戦いに敗れ、海路西へ逃れる。
・元暦2年・文治元年3月24日 – 壇ノ浦の戦いに平氏一門が滅亡、安徳天皇が入水。
・源義経「腰越状」
・源頼朝の命により土佐坊昌俊義経を襲撃するも失敗、後白河法皇より源義経頼朝追討の院宣を賜る。
・源頼朝大軍を発する。
・緒方三郎惟栄が源義経を迎え源頼朝と構えるために、天神山に岡城を築く(伝承) *1
・源義経大物浦より船出し消息を絶つ。
・島津忠久、島津荘の下司識に就く
*1 現在では14世紀頃が築城の始まりとして有力となっている。それ以前は志賀氏の居城であった騎牟礼城が、この地域を統括した拠点と見られている。
文治元年(西暦1185)頃の日本国内の出来事
・屋島の戦い源義経の勝報、鎌倉の頼朝の元に届く
・無断任官の東国武士24名が頼朝により処罰された
・源義経追討の院宣出る。源義経大物浦より船出し消息を絶つ。
・文治地震 8月6日(元暦2年7月9日)京都一帯に大地震。御所も危険とされ、園庭の中に幄を設けて御所とする。地割れ幾多に走り、液状化現象によって水が吹き出したとも(吾妻鏡より)
・第82代後鳥羽天皇が即位(-1198年)
・源頼朝、守護・地頭を全国に設置。(義経捜索の為の警察機構の追捕使を配備)
・島津忠久、島津荘の下司識に就く。 2*
・九州に鎮西奉行が設置された。
・鎌倉幕府が成立する(1180~1192年頃)
*2 大友氏・岡城ともに因縁深い島津家の祖
~岡城ヒストリーについて~
この年表は大分県竹田市にある国指定史跡「岡城」にまつわる歴史研究書籍・伝承・逸話を元に、各種の書籍と文献を参考資料として編集しています。
記述内容の誤りや、資料の信憑性、歴史考証の新たな発見と共に内容が修正されることがあります。
800年の時を超えて今に伝わったこの大切な史跡がこれから先も末永くその歴史と文化を伝えていく事を願って編纂編集に努めて参ります。