”恐ろしき者の末”緒方三郎惟栄 その3 -葦屋浦の戦い勃発- 文治元年 (西暦1185)頃

元暦2年(1185)2月1日葦屋浦(あしやうら)の戦い勃発

北条義時、下河辺行平、渋谷重国、品河清実等が先行し上陸
文治元年(1185年)2月1日、筑前国葦屋浦にて、平氏方の原田種直、賀摩種益ら親子からの攻撃を受け開戦する。
行平、重国、奮戦、縦横に駆け巡り矢を放ち、種直種益親子射られ、美気種敦を下河辺行平が討ち取る。

緒方三郎惟栄と豊後国人の勲功

この戦いの勝利によって、平氏の地盤の長門・豊前・筑前を範頼軍は制圧、源範頼(みなもと の のりより)を苦しませてきた彦島の平氏は海峡を隔てて孤立した。
葦屋浦の戦いの中で、九州上陸を可能にし、豊後の国の要衝を抑えた緒方三郎惟栄らの功績は大きく、戦いの翌日「2月2日」には頼朝の願いにより豊後国人の勲功を賞する後白河院庁下文が出されていた。

葦屋浦の戦い、その後

2月14日、兵糧米が尽き一度周防に撤退した源範頼は、九州の平氏討伐が不可能な時は四国の平氏討伐に迎えと命令されていたが*1、博多・太宰府に進撃し長門国彦島に平家一党を封じ込めていた。

源範頼を苦しめ続け、豊後水軍の援護を受けた後も決戦に至ることのなかった、強敵平知盛(たいら の とももり)とその一党は海に逃れ壇ノ浦の戦いに挑む。

壇ノ浦最後の平知盛の像

壇ノ浦最後の平知盛の像


*1 元暦2年(文治元年・寿永4年) 2月19日 屋島の戦い(四国平氏討伐)九州での源範頼の窮地を聞いた源義経が、四国の屋島方面へ向かい、四国平氏を分断し討伐を成功させる。『平家物語』の「弓流し」や名場面の「扇の的」の逸話が語られる戦い。


緒方三郎惟栄館跡のアザレア
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~岡城ヒストリーについて~

この記事は大分県竹田市にある国指定史跡「岡城」にまつわる歴史研究書籍・伝承・逸話を元に、各種の書籍と文献を参考資料として編集しています。
記述内容の誤りや、資料の信憑性、歴史考証の新たな発見と共に内容が修正されることがあります。
また「おそろしき者シリーズ」の源平合戦の描写は「平家物語」や「吾妻鏡」等の参考文献の中で、故人を偲び褒め称える表現も多く、時系列や実際の記録とは違う人物描写の部分がありますが、英雄譚としての逸話の部分も大切な郷土の記憶となるようにと、採用している部分がございます。その部分につきましては、可能な限り注釈にて、事実と創作を判断して頂けますように注意しております。
800年の時を超えて今に伝わったこの大切な史跡がこれから先も末永くその歴史と文化を伝えていく事を願って編纂編集に努めて参ります。


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