山城特集 「三船城」 動画と豊薩合戦Episode

「三船城主郭」 -朽網氏山野城の支城-

九州の大分県竹田市大字仏原にある山城「三船城」

朽網氏と「三船城」

朽網氏は、建久(けんきゅう)年間(1190-1198)に豊後大友氏の初代当主「大友能直(よしなお)」に仕える古庄重能(こしょうしげよし)が、大友能直の代官として九州に下り、朽網郷に土着し朽網重能を名乗った事が始まりと言われる。
大友当主「大友能直」の兄弟とされ、大友能直も幼児の頃は古庄能直(こしょうよしなお)と名乗っていたと言われる。
朽網氏は豊後国志に「楼櫓塹壕はなはだこれ麗しい」と書かれる「山野城」と、この「三船城」を代表に幾つかの支城を有し、近郊を納めていた。
初代「朽網重能」の朽網氏は「朽網氏の乱」で断絶の危機となり、同じく大友氏流の入田氏から入田鑑康(にゅうたあきやす)を向かえ、朽網鑑康*1(くたみ あきやす)を当主として再興した。

豊薩合戦Episode「三船城」

天正14年(1586)12月、豊後に侵攻し岡城を包囲した島津義弘率いる島津軍であったが、難攻不落の岡城攻略に戦術なく仰ぎ望むしか出来ずに日ばかりが過ぎる事を良しとせず、岡城攻略には押さえの部隊を残し、白丹郷(しらにごう)朽網郷(くたみごう)方面へ侵攻した。

岡城に阻まれた島津軍も、支城を攻めその勢いを取り戻し、白仁郷を納める南志賀家の南山城を陥落した後、朽網鑑康の納める朽網郷*2へ侵攻。
耳川の合戦で総大将の一人として大きな戦果を上げ、大友譜代家臣として様々な功績を残してきた将、朽網郷領主「朽網鑑康(85)」は既に隠居の身で病床にあったが、三船城を拠点に果敢に戦った、しかし合戦の中、三船城を守っていた嫡子鎮則と諸将が本城の山野城に撤退したため、やむなく山野城で籠城をする事になる。

*1朽網鑑康(くたみ あきやす)大友氏一族入田氏の入田親廉(ちかかど)の次男「入田鑑康(にゅうたあきやす)」。絶えていた古庄氏(こしょうし)の朽網氏を継いで朽網鑑康と名のった。朽網氏は一説には豊後大野氏の支流とも言われる。
*2朽網郷、現在の大分県竹田市の久住町、直入町に大分郡の一部(今市、庄内町、阿蘇野)を加えた地域と言われる。


「三船城」関連動画

「三船城主郭」 -朽網氏山野城の支城-

「三船城の天然の堀七里田川」 -朽網氏山野城の支城-
「三船城周辺撮影」 -朽網氏山野城の支城-
「三船城周辺撮影」 -朽網氏山野城の支城-

三船城と周辺の地図

昭和51年(1976)の航空写真。
九州大分県の山城、三船城「山野城の支城」の地図
出典:国土地理院ウェブサイト:http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1070844&isDetail=true


三船城画像

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三船城地図:九州大分県竹田市大字仏原


豊薩合戦Episode「三船城」参考資料

国土地理院空中写真加工に関する国土地理院コンテンツ利用規約による表記

出典:国土地理院ウェブサイト:http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1070844&isDetail=true
国土地理院空中写真:http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1070844&isDetail=trueをもとに㈱情報開発研究所作製
整理番号 CKU762
コース番号 C15
写真番号 23
撮影年月日 1976/10/06(昭51)
撮影地域 九重山
撮影高度(m) 2900
撮影縮尺 15000
カメラ名称 RMKA
焦点距離(mm)
カラー種別 カラー
写真種別 アナログ
撮影計画機関 国土地理院
市区町村名 竹田市

「三船城」参考書籍

豊後之国直入郡白仁村南山城落城之覚書写-足立計司著-
南山城由来記(常楽寺蔵書コピー本)-足立計司編集-
直入郡志全-直入郡教育会-
直入郡全史-北村清士編集-
大友興廃記-出版大分県立大分図書館-
前岡城物語-大塚主著-


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